LANY1人目の社員が、管理部門に異動した話

【CULTURE】LANY1人目の社員が、管理部門に異動した話

LANYの管理部門に所属している玉置です。

実は僕、LANYの「1人目の正社員」です。これまでコンテンツ事業部を立ち上げ、仲間を集め、マネージャーとして“攻め”の現場で走り続けていました。

そんな僕が、いまは経理・労務・法務・情報システムといった“守り”の管理部門にいます。

このキャリアチェンジは、正直自分でも少し意外でしたし、マネージャーの役割から離れると決まったときは悔しさもありました。でも、自分ではなく、“LANYにとって一番いい選択”を考えたとき、この異動がベストだと心から納得できたんです。

この記事では、1人目の正社員としてLANYにジョインしてからの歩みや、僕の管理部門としての覚悟、そしてなぜ“会社を支えること”に誇りを感じているのかを、率直にお話しできたらと思います。

【玉置のプロフィール】

  • フリーランスでコンテンツディレクター・ライターを経験し、2021年に業務委託でLANYに参画。1年半ほど業務委託として働いたのち、2023年1月に正社員として入社。
  • LANY入社後はコンテンツ事業部で各種プロジェクトの案件推進(PM)や、ディレクター・ライターの採用業務に従事する。
  • 2024年にコンテンツ事業部でマネージャーを経験したのち、2025年5月に管理部門へ異動。現在は、経理財務・人事労務・法務・情報システムなど、管理部門全般の業務と運用フローの構築を行なっている

▶︎玉置の入社インタビュー

最初に惹かれたのは、“人の良さ”だった

僕とLANYとの最初の接点は、業務委託としてコンテンツマーケティングの案件に関わらせてもらったことでした。期間は約1年半。他の会社とも並行して仕事をしていましたが、自然と「コミットするならLANYだな」と感じるようになっていました。

1番の理由は「人の良さ」。これは、当時も今もLANYを語るうえで欠かせない要素です。特に、僕と一緒に仕事をしてくれた浅井の存在が大きかった。どんなに忙しくても時間をつくって、親身に向き合ってくれるその姿勢に、何度も助けられました。

LANYの働きやすさって、突き詰めると「ポジションや職種に関係なく、お互いをリスペクトしてる」ことに尽きると思います。業務委託の僕にも壁を作らず、対等なパートナーとして接してくれた。そういう一つひとつの積み重ねが、僕のLANYに対する信頼につながっていったんです。

1人目の正社員としての「働きやすい環境作り」への想い

2023年1月、LANYに「1人目の正社員」としてジョインしました。業務委託期間を含めれば、この記事を書いている時点で、LANYとの関わりは約4年になります。当時のLANYは、代表の竹内、市川、浅井のボードメンバー3人だけのまさに創業期。安定を求めての転職というよりも、 純粋に3人の人柄や仕事ぶりに触れて「この3人と一緒に働く未来の方が、フリーランスを続けるより絶対におもしろい」と強く感じたのが入社の決め手です。この決断は、今でも正解だったと思っています。

入社前の竹内と市川との面接で、「コンテンツ事業部の売上を1年で2倍にしたいです。玉置さんならどうしますか?」というお題をもらいました。僕は、事業戦略とは少し角度が違ったかもしれませんが、「まずは一緒に働くメンバーの生産性を上げるために、社員や業務委託の人が働きやすいように色々とルールを整備したいです。みなさんが働きやすい環境を作ることで業務パフォーマンスが上がり、成果を出せる。結果としてクライアントの満足度も上がり、案件が継続するというループができると思うんです」と答えたのを覚えています。

今思えば、本質的な回答ではなかったかもしれない。けれど3年経った今、この「みんなが働きやすい環境を作りたい」という想いが、これから自分が管理部門で目指していることと不思議なぐらい重なっている。人を信じて、その可能性を最大限に引き出せる環境を作りたい⸺この気持ちが僕の根底にはいつもあるんです。

「最強のコンテンツチーム」立ち上げの日々

入社してすぐ、竹内から「最強のコンテンツチームを作ってください。やり方は任せます」というミッションを受け、コンテンツ案件(記事・ホワイトペーパーなど)のPMとして、組織作りや品質担保に奔走する日々でした。

立ち上げ初期は、浅井と二人三脚。業務委託のライターさんやディレクターさんを合わせても、当時のチームは30人ほど。人が圧倒的に足りない中で、入社3日目には採用に着手し、半年間ほぼ毎日1人で面接とテストライティングの対応。結果として、1年で100人を超える組織へと成長させることができたのは、自分でもよくやったなと思います。現コンテンツ事業部社員である菅原・渡邉をはじめ、今もLANYを支えてくれている多くの仲間との出会いも、この時期の採用活動がきっかけです。

人が増えれば、当然マネジメントや品質担保の重要性も増します。オンボーディングの仕組みを整え、PMとして案件を推進し、時には自社コンテンツ(LANYブログや社員インタビュー記事)のディレクションも担いながら、1人でいくつもの役割を背負っていた気がします。

しっかり向き合うことが、100人のチームを強くした

案件推進は、とにかく人との連携がすべて。大変さはありましたが、一番やりがいを感じていた部分です。100人もの業務委託の方々とやり取りしながら、すべてのコンテンツ案件をリードしていた時期もありました。

それでもエラーなく高い品質を維持できたのは、ライターさん、ディレクターさん一人ひとりのおかげです。 僕が意識していたのは、どんなときも「相談しやすい空気」を作ること。忙しくても相談があれば必ず時間を作り、すぐに向き合う。問題はその場でスピーディに解決する。そうすることで、安心して力を発揮してもらえると信じていました。

「LANYの社員はちゃんと話を聞いてくれる」そう思ってもらえたことが、チーム全体のパフォーマンス向上につながったんだと感じています。

“ハピトラ”が形になった瞬間

こうした取り組みの結果、ご支援企業もどんどん増え、クライアントからは「今まで依頼した企業の中で一番記事の品質が良かった」「流入数が増えている」といったうれしい言葉をいただくことが増えました。コンペでLANYが本発注を勝ち取ったときは、本当に誇らしかったです。

そして、業務委託の方々からも「LANYが一番働きやすい」と言ってもらえることが多くなりました。クライアントも、仲間も、幸せになれる。それがLANYが掲げるバリューの一つ「ハッピートライアングル(ハピトラ)」であり、チームとして体現できた実感があります。

浅井たちがゼロから築いてきた土台に、約2年かけて自分なりに「90点くらいの組織は作れた」という自負があります。その原動力は、やはりLANYという会社への想いでした。

仲間を導く責任の重み

2024年、LANYが正社員採用を加速させ、組織は大きく変化していきました。それに伴い、竹内・市川が直接全社員をマネジメントすることが難しくなり、新たにミドルマネージャーのポジションが誕生。僕も入社2年目で、コンテンツ事業部のマネージャーになりました。

もともと人の特性を見て適材適所を考えるのが得意で、プレイヤーよりもマネジメント気質な自覚はありました。業務委託の方々をケアしてきた経験も活かせるだろうと思っていましたし、育成や品質担保には十二分にバリューを発揮できていた自負もあります。

でも、実際に社員をマネジメントしてみると、その大変さを痛感しました。竹内がよく言う「同じ船に乗って、同じ目線で仕事をする」ためには、時には根気強く向き合い、同じ方向に導いていく必要がある。簡単に諦めてはいけない重みが、そこにはありました。

託したのはポジションではなく、未来だった

マネージャーとして奮闘する中、LANYは5期目を迎え、「非連続な成長」を目指すフェーズに入りました。会社の成長速度が加速するなかで、次第に自分の強みや役割についてより深く考えるようになっていきました。サービスの品質担保や体制作りは得意。でも正直、クライアントとの折衝やサービスを「売る」という動きにはずっと苦手意識がありました。

そんな中、2024年末に市川から「コンテンツ事業部のマネージャーを牧野さんに任せたい」という話がありました。牧野は、クライアントとの関係構築や、価値提案の力が圧倒的に強く、いわば「攻め」のマネジメントができる人。LANYが次のステージへ進むには、間違いなく必要な存在でした。

仮に僕がマネージャーを続けていても、堅実に成長させる自信はありました。でも、今のLANYには「変化を恐れず、挑戦する力」が必要だと思えた。そのとき、コンテンツ事業部のマネージャーは僕である必要はないと悟ったんです。とはいえ、マネージャーでなくなることに対して、悔しさがなかったと言えば嘘になります。1週間くらいモヤモヤして、気持ちがついてこない時期もありました。自分の力不足を突きつけられたようで、正直苦しかった。

でも、最終的には「LANYの成長のためには、これが最善だ」と納得できたんです。牧野が「攻め」を担い、僕が「守り」で支える。お互いの強みを活かし合うことで、より大きな成果が出せると信じられたから。

実際、僕が整えた土台のうえで、彼はしっかりと事業を伸ばしてくれました。そうやって、チームがさらに前に進む姿を見たとき、心から清々しい気持ちになれたのを覚えています。

“僕しかいない”と思えた、管理部門への挑戦

マネージャーを離れた後、改めて「自分はこの組織にどう貢献できるのか?」と考えるようになりました。当時、担当していた案件は10件ほど。プレイヤーとして第一線で案件を動かすというよりも、IPOを見据えた受発注フローや契約周りの整備など、自然と「管理部門寄り」の仕事に時間を割くようになっていたんです。

ふと、「このままコンテンツ事業部にいて、価値を出し続けられるんだろうか?」そんな問いが頭によぎるようになったのは、この頃でした。

2025年2月、市川から「玉置さん、管理部門の業務に興味ありますか?」と声をかけられました。その時の心境は非常にポジティブなものでしたし、むしろ自分にとっては自然な流れだった気がします。マメな性格や業務適性を考えても、管理部門の役割はきっと自分に向いている。

何よりも、LANYがこれからIPOを目指していくうえで、事業部を深く理解しつつ、管理部門の基盤構築をリードできる人材が必要不可欠。「その役割を担えるのは、今のLANYでは自分しかいない」ある種そういった使命感のようなものも感じていました。

自分のキャリアと、会社の成長フェーズがうまく重なったタイミングでした。これもまた、LANYが大切にしている「ハピトラ」のもう一つのかたち。LANYには、「個々の強みを信じ、活かそうとしてくれる」そんな文化があります。だからこそ、僕も素直に挑戦への一歩を踏み出すことができました。

コンテンツ事業部で培ってきた経験は、管理部門での業務にも確実に活きています。どんなときに現場がつまづくのか、どんなサポートがあると前に進めるのか⸺現場のリアルな感覚を理解しているからこそ、管理部門として「本当に必要な体制作り」ができると思っています。

バトンを渡したその先に、僕が築くべき土台があった

最近、コンテンツ事業部社員の週報を読むたびに、彼らの成長を実感してうれしくなります。2年前は浅井と一緒にコンテンツ事業部を牽引していましたが、今では僕たちが直接関与しなくてもチームがしっかりと機能し、成果を上げている。業務が属人化せずに、任せられる仲間ができた。これは、LANYが確実に良い方向に進んでいる証だと思います。

もちろん、事業部から離れたことを少し寂しく感じる瞬間もあります。けれど、自分より若くて優秀なメンバーがしっかりバトンを受け取ってくれた今だからこそ、僕は腰を据えて管理部門の業務に集中することに決めました。

今、僕の役割はIPOに向けた強固な管理基盤を作ること。受発注のフローの整備、勤怠管理の厳格化、情報システムの統制など、課題は山積みです。これらを一つひとつクリアしていくために、時には事業部に対して厳しいことを言わなければならない場面も出てくるでしょう。

たとえ嫌われても、やるべきことはやる。いつかの週報にも書いたのですが、「嫌われる覚悟を持ってでも、IPO達成のための管理部問の基盤作りをする」という決意で、日々業務に取り組んでいます。

ルールは、誰かを縛るためじゃない。守るためにある

IPOを目指す以上、会社として一定のルールを設け、全員がそれを守りながら業務を遂行する必要があります。僕の考える「働きやすさ」とは、単に「好きに働いていい」ということではないです。企業に属している以上、ルールを遵守する責任があるし、それを前提にしてこそ、安心して働ける環境が整うはずです。

最初は苦労や負担をかけてしまうかもしれない。でも、仕組みが整えば、きっとその先に「会社・個人、両方が健全でいられる環境」が待っていると信じています。だから「嫌われる覚悟」を持ってでも、このルールを整備したり、それを社内に浸透させる役割の人が必要で、僕が担いたいと考えています。それが、LANY1人目の社員として僕が返せる恩だと思っているから。

もちろん、本当に嫌われるような振る舞いをしていくつもりはありません(笑)。市川からも、「一方的な押し付けではなく、事業部に寄り添いながら一緒に課題を解決していく管理部門を目指してほしい」というミッションをもらいました。現場の気持ちが痛いほどわかるからこそ、言うべきことは言うし、難しいことは一緒に向き合う。それが、僕が目指す「寄り添う管理部門」です。

LANYへの愛は、形を変えて未来を創る

僕がLANYで働き続ける理由は、とてもシンプルです。「この会社が目指す未来に、心から共感しているから」。そして「会社を主語にして物事を考えられる文化が好きだから」です。

入社当初から、LANYのビジョンに強く共感していました。もちろん、僕自身のスキルアップやキャリア形成も大事です。でもまずは、会社としてどこを目指すのか、そのために自分は何ができるのか、という視点で常に物事を考えています。

そして、このように考えているのは僕だけではないんです。LANYには、純粋に「会社が好き」「この会社がやろうとしていることに共感している」というメンバーが本当に多い。自分のためだけではなく、「LANYのために」という想いで仕事に向き合える人たちが集まっています。だからこそ、大変なことがあっても乗り越えられるし、変化にも真正面からチャレンジできる。

今回の異動も、僕にとっては“LANYへの愛の形が少し変わった”だけ。現場での経験を糧に、今度は会社全体の土台を支え、LANYがさらに大きな未来を描くためのサポートをしたいと強く思っています。

もしこの記事を読んでくださっているあなたが、LANYに少しでも興味を持ってくれたなら、それはとてもうれしいことです。LANYは、本気で人の成長を応援してくれる会社です。そして何より「人が良い」。信頼できる仲間と、真剣にミッションに向き合い、未来を創っていく。そんな熱い想いを持った方と、いつか一緒に働ける日が来ることを楽しみにしています。

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